美人カフェ運営者は失敗を恐れる卑怯者でした

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こんにちわ。美人カフェどっとこむの運営者のりょうちゃんです

この美人カフェというサイトと、女の子大好きブロガーという個人サイトを運営してます、りょうちゃん(@ryo1itoh)です!

この記事では僕に関する生まれてから今までの人生、そして僕がこのサイト、そして今の仕事でどんなことをやりたいのかを語ってみたいと思います。

 

僕の簡単なエントリーシート

  • 名前:伊藤良一
  • 呼び名:りょうちゃん
  • 出身地:東京都昭島市
  • 卒業大学:明星大学教育学部教育学科
  • 現在の仕事:女の子大好きブロガー

という感じです(^◇^)

 

僕の小学校から大学まではエリート人生

僕は人生、小学校から大学までぶっちゃけ人と比べるとエリート人生です。

まあ、あまり女の子にはモテていませんでしたがそこを抜かせばそうとうなエリートだと自分では最近思います。

自分でエリート、て言うくらいなので少し嫌な感じがします。

でも、自分で思い返すとあまり友達には欲しくないと思いました。

 

小学校は学年で一番頭良くて、スポーツできる

僕は小学校6年の最後まで勉強が学年で一番でした。

いつもテストの点数は90点以上、私立の中学を受験という奴でした。

 

スポーツも野球チームではエースで4番、ホームランもたまに打ってました。

水泳も自分で言うのも変ですが割と才能ある!と騒がれて小学校4年で中学生と一緒に練習していました。

 

こんな風に周りからチヤホヤされた人間は大体が調子に乗ります!!

 

中学校、高校は水泳で全国に出てキャプテンをやる

中学、高校は一番センスある!と太鼓判を押された水泳をやるようになります。

中学3年、高校1年、2年では全国まで出場して学校では少し有名人になって完璧に天狗でした。

スポーツが強い学校だったので結果を出すやつを相当優遇するのでもう人間性がダメでした( ;∀;)

水泳が遅い奴に対して暴言を吐いたり・・・下級生をいじめたり・・・人としてヤバイ奴でした。

 

大学も楽しく過ごす

僕の進学した大学は教育学部が人気だったので僕はノリで入りました。

先生、つまり教員免許をとりました。しかし、先生という職業が面白くないなーと調子に乗って社会を舐めていた僕は教師になる道をあっさりと辞めました。

 

声優の専門学校へ就職する

僕にとって初めての就職はここでした。

声優の専門学校の教務課広報という仕事でした。仕事はたくさんで、

  • 学校パンフレット作製
  • クラス担任
  • 体験入学進行
  • 卒業公演などの舞台監督、音響
  • 普段の授業のサポート
  • 講師の先生とのやりとり
  • 声優事務所とのやりとり
  • 学校見学の受付

他もろもろ・・・・たくさんでした。

僕は最初の就職で仕事が楽しい!!と感じました。

 

しかし、6年経ってあることが起こります

 

会社都合での退職

現在、少子化が問題となっていて専門学校という事業は生徒募集には苦戦をしていました。

僕の職場も例外ではありません。

僕は当時、独身で他の職員は結婚していました。

 

職員一人辞めさせないといけない!という時期になってしまい「僕」ということになりました。

僕自身、覚悟をしていたのでショックはありましたが「仕事は楽しい!」と思えた時期だったので悲しかったです。

 

転職が上手くいかなくなる

僕は次の転職先を同業他社にしようとしました。

声優関係で広報の仕事にしようとしました。

 

しかし・・・リクナビNEXTをみてください!!

そんな求人は多分レアです( ;∀;)

たまにあっても倍率すごいんです!!僕のいた職場もすごい倍率でした!!!

 

なんと僕が採用された枠は3人で・・・応募者300人以上でした

 

りょうちゃん
同業他社も倍率一緒ならこりゃ無理だ・・・

一生困らない仕事しようかな!

必要とされる仕事あるかな

 

必要とされる仕事はIT業界だ!と思いITの仕事を始める

この頃から僕はほんの少しですがWebメディアに対して興味が出てきました。

求人を見るとシステムエンジニアさんやプログラマーさん、Web広告の運用とかたくさんありました。

りょうちゃん
給料もいいし、Web広告の代理店にはいろーー!!

 

めっちゃ軽いノリで入りました。

正直、Web広告の代理店に入ってたくさん勉強になりました。

営業のやり方や提案の仕方。そして多くのビジネスモデルがあるということ。

本当に入ってよかったなと思いました

 

付き合っている彼女と結婚する

会社員として安定してきた僕は500万貯めました

使い道は当時付き合っていた彼女と結婚をするためでした。

結婚式や様々な生活に必要なお金が大体全部合計すると500万でした。

ていうか、結婚式は意外と高いなーと今は感じます・・・

僕は当時、どんどん同級生が結婚して子供が生まれた!という報告を受けるたびに羨ましいと思っていました。

その羨ましいとは「幸せ」というものをすごく僕が欲していました。

僕は「普通の幸せ」をすごく欲しがっていました。

 

最愛の娘が生まれる

結婚してすぐに妻に子供が出来ました。

新婚旅行にも連れて行ってあげれなくて申し訳なかったなと感じます。

子供が出来たということで多くの方に祝ってもらいサポートをしていただきました。

多くの心がこもった「おめでとう」をもらいました。

娘は元気に無事に生まれて本当に幸せでした。

 

いい父親になることが苦しくなった

多くの方から素敵な奥さんと娘さんがいて幸せだ!!と言われました。

しかし、僕自身は結婚生活と仕事、プライベート・・・うまく回すことが出来ずに笑顔をなくしてしまいました。

 

僕の仕事は結構忙しく、朝四時に帰ることも多くなっていました。そしてすぐに朝出勤という激務になっていました。

子育てをサポートするということもなかなか出来ず、週1回は僕自身が体調を崩してしまっていました。

 

プライベートも僕自身が本や漫画、アニメが好きでしたが妻は僕の趣味趣向に理解が出来ず、本棚を片付けてしまっていました。あまり本を読むことすらできず子供のための時間を僕は過ごしていました。

 

僕は一般的に言われる「いい父親」というロールモデルがとても苦しいなと感じてくるようになりました。

当時、世間では「イクメン」という言葉が流行っていました

仕事をして、育児に参加する男性が素敵!という感じかな?

 

僕も娘が生まれる前はそうなりたいと思っていました。

しかし、現実はそう簡単に「いい父親」になれませんでした。

 

徹夜明けで娘の子守りをしたときは居眠りをしてしまったことが多々ありました。

児童館に遊びにいったときも居眠りを他の保護者の方に注意を受けました。

「父親の自覚がない!」と何度も義理のご両親にお叱りを受けました。

 

僕は「お父さん」という肩書が苦しくなっていました。

 

妻との仲も亀裂が増える

妻と僕も衝突が増えてきました。

 

付き合っているころも喧嘩はありましたが、この当時の衝突は喧嘩ではありませんでした。

妻は僕を殴るようになっていました。

僕は妻を黙らせるために物に当たるようになりました。壁を殴るようになりました。

 

僕たち2人を見て娘はいつも泣いていました。

 

妻は僕に「妻の理想の父親」になってほしかったんだと思います。

僕はその「妻の理想」がとても苦しかったんです。

 

お小遣いが1日500円。会社の飲み会にも参加は出来ない。

ビールは飲めない毎日。お風呂の時間は5分程度。

 

多分、妻なりに家計をしっかりと考えていたんだと思います。

 

僕は仕事を辞めると妻に切り出した

僕は仕事も忙しい、そして今の仕事では身体ももたない!と思いました。

 

妻に仕事を辞めたい!と切り出しました。

 

すると妻は離婚届を僕に書いて渡しました。

僕には出て行って欲しいといいました。

 

僕は自分の荷物を簡単にまとめて自分の家を出て行きました。

 

 

離婚という人生レールから外れたこと

離婚に関しての手続き、子供への養育費などの話し合いは弁護士さんを通じて全て完了しました。

 

離婚をしてからも普通には仕事はしました。しかし、通常のように働こう!というモチベーションがどうしても湧きませんでした。

転職をしましたがあまりやる気は出せませんでした。

 

父親になれなかった自分は人間失格なんだと思っていた

僕は今でも家族のドラマとか見ると、内容の良しあし関係なく涙が出ます。

特に父親という存在には何故か敏感です。理由は自分が人間失格なのではないかと今でも思っているからです。

 

確かに今の日本では離婚をする人は3組に1組とかいうデータはあります。

しかし、データではなく僕自身のとらえ方です。

 

僕はずっと人生うまくいっていました。就職して少し失敗しても何とか取り戻してきました。

しかし離婚という出来事は僕から様々なものを手放す機会になりました。

 

自信や友達への関わり方、家族というものの在り方。自分自身のダメな部分。

自分が見てこなかったものをたくさん見ました。

 

自分のダメな部分をたくさん見てしまい、人間失格の気分を半年以上味わいました。

 

離婚をしたことを友達にも隠すような卑怯者でした。事実を言えない、都合の悪いことをはぐらかすような感じでした。

僕はこんな生き方をしていたら自分に自信を無くしました

 

会社に行けなくなった

自信がないとどんな仕事も出来ません。

 

僕は会社を休むようになりました。なぜかベッドから出れなくなりました。

そしてインターネットをなんとなく見ました。

フリーランスという人たちを多くみるようになりました。

 

りょうちゃん
フリーランスか・・・人脈も信用も今はマイナスの俺に出来るわけないじゃん・・・

そうマイナスモード全開の僕でした。

 

 

 

自分のために生きよう!と思う

そんな会社を辞めるか、どうするかうだうだ考えていると弁護士さんから連絡がありました。

妻が再婚をしたという連絡でした。

※通常、離婚したら養育費を払いますが養育権を持っているほうが再婚をした場合養育費というもの自体がなくなります。僕の場合は約束金という形で現在も払っています。

 

僕はこの知らせを聞いて考えました。約束金を払えるくらいは自分で稼げる!!

そして、せっかく一回きりの人生・・・自分のために仕事をしてみよう!!

そう思い、フリーランスとして活動を始めました。

 

フリーランスとしての1年は走りまくった

僕は開業届けを出したのは2016年の2月でした。

事業内容とか特に決めていませんでした。

 

しかし、一個決めていたのは「結果にこだわる」ことでした。

そこで1か月ごとに常にブログを通して人に結果を晒すことを意識しました。

昨年から始めた個人ブログを通して自分の今後の目標を宣言することで、自分へプレッシャーをかけました。

 

 

2017年現在の僕

正直に書くと、娘には最近会わせてもらえてません。

これは色々仕方ないと考えています。寂しい気持ちにたまに潰れそうになります。

 

仕事をとにかくして忘れよう!という気持ちしかありません。

 

現在はこの美人カフェという媒体で様々な女性の価値観に出会えています。

僕は結婚していた頃、女性は専業主婦!という考えしかありませんでした。

 

しかし、女性も多くの方が自分で生き方を決めている。

仕事もしている、結果を出している!という事実に驚いています。

 

美人カフェという媒体でやってみたいこと

現在僕は記事を書いて写真を撮って終わり!という感じが多いです。

他には企業のPR記事を書いていますがそれでも、それでも!!まだ物足りないなーと感じています。

 

僕は最初に就職した専門学校の広報で思ったことは「自分メディア」を作りたい!!といつも考えていました。

メディアとは何か?人を楽しませることか?誰かの行動のきっかけになる媒体づくりをしてみたい!!

最近はそんなことを考えています。

 

普通という言葉を無くしたい

僕は普通の人生にとても拘っていました。

普通という基準より上をいつも目指していたからです。

 

でも現代の日本では普通の人生なんて分かりません。

定年まで企業に勤めて成果を出さずに出勤する人よりも、早期退職して地元で畑を耕す人のほうが僕はカッコいいと感じます。

 

普通という言葉があるから自信をなくしてしまう若者が多くなってしまうのかなと感じます。

もっと失敗を許してくれる社会作りをメディア運営しながらやってみたいです

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